mile:6  「第一封印」 NO.1 






 仄暗い廊下を、殺伐とした靴音が撫ぜてゆく。 薄汚れた窓を透る斜陽の光は、嘲笑する魔術師にも似て、三人の高校生の影法師を揺らせている。

「いいか。オレ達もな、何も考えねえで丸腰のてめえらを連れて来たわけじゃあねえんだ。 吉田に桜庭、てめえら二人は普通の人間じゃ持ってない、一種の適性っぽいモンを持ってんだ。 物語とか漫画で出てくる魔法の力だとかマナだとか、そんな類のモンだな。霊感っつった方が近いかもしれねえ。とにかく、アレだ。 で、さっき見たようなバケモン――喰魔(オーガ)は、 その特殊能力を持った人間を餌にしてる。しかもてめえらは、ヤツらに狙われてる上に、さっきのひかる達と違って防衛用の武器を何一つ持っちゃいない状態だ。 これがどういうことか、もう分かるよな?」
「……はい」

 柾章は未だにこれは事実なのかと本気で考えていたが、取り敢えず冷静でいようと決心して、答えた。 一方、佑一の方から反応が無いのを不審に思った倫奈が後方の彼を振り返ると、案の定、 血の気の無い表情で俯きつつも何とか付いて来ている佑一の姿があった。
 本来なら、こんな苦しい思いをしてまで佑一を連れて行くと言うのなら、 どっちつかずな態度を是としている柾章にしては珍しくも断固反対するのだが、 実の所、柾章自身が本能としか言いようが無い自身の何かに引っ掛かっているのだ。
 魔法だとか、喰魔だとか、今起こっている事は全て虚構だと必死に言い聞かせている自分がいる。 だが、それを虚構だと結論付ける事が根拠がない。更には、そもそも何故これが虚構だと始めから決まっていたのだと、 訝しく思う自分すらいる。加えて、怪物が現れた時よりも遥かに強い耳鳴りが、部室を出てからずっと続いている。

(……何なんだ……)

 柾章の可聴域ぎりぎりの超高音にあてられ、今や彼の聴覚は殆ど無力に等しい。 脳髄を支配する音の幕の奥の方から、腹から叫んでいるらしい倫奈の声がようやく届く。

「いいか、さっきも言ったがこのままじゃてめえらは喰われっぱなしだ。そこで、封印の出番、てワケだ。 六芒部は全員、新しく入った一年も、封印のどれかを使ってヤツらに喰われないようにしといたんだが、 しくじったことにてめえらにはそんな時間がねえ。で、ちょっとどころじゃなく手荒にいくが勘弁してくれや」
「具体的にはどんな感じなんスか?」
「直接ヤツらと戦り合ってムリヤリ封印を適用させるしかねえ。適用させたいヤツがピンチの方が適用させやすいからな」
「……賭け、ですね」

 立ち止まりそう苦笑してみせたのは佑一だが、彼の顔には冷や汗が滴り、膝を押さえ中腰でいるのが限界そうな様子で、 四肢も僅かに痙攣し始めている。まずい。柾章は直感した。
 中学で同じクラスだった時に佑一がひどい痙攣をした事があった。その時もこんな感じだったかもしれないし、 そういえば、あの時も嫌な耳鳴りがしていたような――そこまで記憶を浚った所で、柾章の脳裏を不吉な予感が掠めて行く。
 このまま彼が倒れてしまったら?
 仮にも高校一年生とはいえ、もしそこでヤツらが現れてしまったら、彼は――
 不安感に駆られるまま柾章が肩を担ぐと、佑一の震えが腕越しに伝わってきた。

「……吉くん?」

 佑一には顔を友へと向ける余裕は無く、掠れたような声も恐らく柾章には届いていまい。
 だが、それが却って幸いだったかもしれない。もし柾章に顔を向けられていたならば、 彼の白骨死体ですら遠く及ばぬ蒼白な顔色に、驚愕するついでに失神していても何ら不自然ではなかったからである。
 今にも気死せんばかりの親友に声を絞り出して立ち竦む柾章もまた、 退く事を知らぬかのように押し寄せる高音の波に崩れ伏すのは時間の問題のように感じていた。

「……耐えてくれ……」
「――その心配はいらねえな」

 不可視の力に圧迫された肺から何とか言語めいた音を絞り出して柾章が顔を(もた)げたところで、 すっかり意識から消えていた倫奈が柾章たちの前に仁王立ちし、吐き棄てるように言うと、前方を顎でしゃくった。

「見ろ」
「!」

 床が何やら盛り上がり、段々と人間の形を成してゆくではないか。これと似た光景を、柾章たちは先程も見ていた。 一階廊下の柱から出て来た高二の男子生徒が、今度は床でそれを再現しようとしているらしい。
 予想していたのと大方変わらない経緯で高二の男子は現れ、またもやあっさりと笑顔を浮かべてみせた。

「ちゃんと撒いて(・・・)来ましたよ」
「あんがとよ。けどよ、どっちかっつうと惹き付けてきたっつう方がイイっぽいぜ? こ、れ、は」

 倫奈の親指が示したモノ(・・)に、 柾章は最早うんざりと呻き声を上げる事すら出来なかった――喰魔とか言ったか、 二回目になるとやや冷静に観察できるようになったそれは、影を寄せ集めて凝縮したかのような形をしている。 異様に濃い中央部で禍々しい光を放っているのは、恐らく眼にあたる物であろう。

(濃縮還元百%絞りたての新鮮な真っ暗闇をお届け……って、ジュースかよ!)

 この期に及んで一人突っ込む自分の根性にほとほと呆れつつも、佑一を支える手からは汗が滴り落ち、 まともに呼吸をしていなかったせいで喉は砂漠のように嗄れ、一息一息が痛みを伴ってくる。
 そんな様子を見兼ねたのか、高二の男子は柾章たちに歩み寄って来ると、僅かに膝を折りながら佑一を柾章の代わりに支え始めた。 部室の外にいる部員はあの時一人だけのようだったから、多分彼が“No.6”なのだろう。

「平気かい? 大変だよなぁ、最初は」
「……ありがとう、ございます」
「いやまぁ、これも先輩としての務めだしさ。…………部長、いいですか?」

 前半部は人聞きの善い上級生の応答そのものであったが後半部にはどこか意味ありげな含みを持たせてあったその科白の意味が、 ようやくして柾章にも解ったのは、倫奈が戦国武将に負けず劣らず潔い号令を出してからだった。

「おう、桜庭はてめえに任せた。オレは吉田の方だ」
「はぁ?」
「歯ぁ食いしばれ!」

 有ったのか無かったのか定かでない前触れの後、倫奈は柾章の鳩尾を鮮やかな手刀で強打。 無抵抗な身体が「く」の字に折れたかと思うと、呆けた柾章の顔が一瞬にして歪み、そして次の瞬間には苦悶に染められる。
 卒倒してしまいそうな意識を叱咤し抉じ開けた視界に入ってきたのは、倫奈と同じく肋骨の下部を強打している高二男子と、 虚ろな表情で崩れ落ちる佑一の姿だ。

「っ……何すんだょ、ですか……!」
「ピンチの時の方が適用させやすい、って、さっきも言ったろ。安心しろ、見た感じてめえの方は順調そうだ。ヤツはすぐそこだ。 おら、最初のお掃除だぜ」
「んな事言われても分かんねぇ、ですよ……」

 そうこうしている内にも喰魔の毒々しい影が柾章たちにも降りかかってきている。 このままでは呑み込まれるのも時間の問題だろうが、倫奈や“No.6”と思しき高二男子は無力な高一に手を貸す気配も無い。 柾章は問うた。

「……もし俺が何もやろうとしなかったら、どうするんスか?」
「ん? そんなの決まってんだろうが。言っとくがてめえが何か行動を起こさねえ限りはオレ達は何もしねえからな。 ただ、ここでてめえが死ぬと調子に乗りやがった喰魔のヤツがどんどん増えてオレ達も不利になるし、 そうなるとオレもそこのNo.6も自分の事で精一杯になっちまうな。 って事はだ、今の所一人では戦えそうにない桜庭をサポートするヤツがいなくなって――」
「わかりました! やりゃあ良いんでしょ!」

 まるで他人事のような口振りで煽る倫奈を遮って、柾章は半ばヤケになりながら身を起こした。
 タチの悪い夢だろうが何だろうが、 付き合ってやろうじゃないか――眼前で不気味に蠢き続けている影を睨み据えながら、柾章は一気に啖呵を切った。

「上等! 他称ツッコミの鑑がこんなザコに突っ込まれてたまるか!」

 もっとも、佑一を振り返った時には、その顔には紛れも無い心配の様相が浮かんでいるが、 それも倫奈の方を向き直った時には消えている。

「……で、どうすりゃ良いんスか?」
「ああ、そうだったな。悪い悪い。今オレがてめえに封印の“原型”を叩き込んだ。 あとは簡単だ。『封印解除』って言え。そうすれば勝手にてめえに合わせて適用されるからな。 今残ってる封印はNo.1とNo.7だけだから、そのどっちかだな」
「分かりました」

 短く言うと、一つ肩を揺らして、呼吸を整える――今の自分には、力が必要だ。

「封印解除」

 突如として、柾章の視界は眩いまでの閃光に蔽われ、立ち尽くす柾章の周囲では旋風が巻き起こる。
 その中で彼は、右手の中に冷たくも新しい感触を得ていた。
 数秒後、視界に再び薄暗い本館廊下と若干気圧されているかのように見える喰魔の影が戻り、ひとしきり風が収まったところで、 その封印の正体を確かめる。

「刀……?」

 刮目している柾章を他所に、その刃渡り一メートル弱の日本刀とも西洋の剣ともつかぬ態の武器は涼しげに佇んでいる。
 良くてハリセンだろうと殆ど諦めていたため、 果たして本当に自分に適用(・・)したのかどうか、 いまいち自信が無いにしろ、目の前の喰魔を攻撃する力はありそうだ。 まともに振り方すら習った事の無いそれを掲げ、喰魔へ袈裟懸けに斬りかかる。

「消え、ろッ!」

 断末魔の叫びと共に塵と消えていくのを見据えながら、柾章は荒い息を吐いた。 跡形も無く失せたのを確認した所で、全身のあちこちを冷や汗が伝っているのをやっとの事で感じて取る。
 殆ど無意識に発した声は、どこか遠い所から聞こえてきているかのように柾章の脳に響いた。

「やったの、か……?」
「おう。ご苦労さん」

 ひとまずは喰魔を消せたので安堵してしまったのか、気が付いたときには柾章は床にへたり込んでいた。 喰魔は消えたようだが、依然として視界は薄暗く、難が去った気配がない――否、先程より暗さが増している気さえもする。
 呆けた中に不思議に思う表情を見出したのか、倫奈は昂然と柾章に笑いかける。

「流石に最初は一回が限界か。今てめえは封印の力を使ったおかげで体力が非常に減っちまっている状態だ。 一通り終われば部室に戻るからよ、その時にでも休めや。今はとりあえず座っとけ」
「はぁ……そうしとくっス。……え、でも、『一通り』って事は……」
「おう。まだあっちのチビの分が終わってねえからな」

 比較的長身の部類に入る倫奈が顎をしゃくった先には、何とか身を持ち直した佑一の姿があった。
 そしてもう一つ――獲物を前に一つだけの眼をぎらつかせた、柾章が掃討したものよりも大きい、新たな喰魔の影があった。






→ Next

→ Milestone Top