mile:7  「少年、雷光の如く」 Lightning Boy   






 ぎらぎらと睨め付ける眼光は赫灼(かく しゃく)と赤く、 それを取り巻く影は、常闇を千切ってきたよりも暗い。 暗影の中でぽっかりと開いた空間からはどす黒い液体がねっとりと零れ落ちていて、 飢えた獣をもっと邪悪にしたらこうなるかもしれない、と柾章は思った。
 そして、その喰魔と、正対している佑一との図は、まさに捕食者と被食者のそれだ。

「何やってんだ桜庭! 『封印解除』って言わねえと何も起こらねえぞ! とりあえずは解除させろ!」
「……っ、封、印……解、除」

 叱咤する倫奈の剣幕に気圧され、引き攣った顔の佑一の声は掻き消えそうなほど小さい。 その上、先程柾章が解除させた時に発生していた旋風も、彼の場合、 風というよりは霧に近い姿で周囲に漂っているのみだ。 一縷の希望を絶たれたかのように立ち竦む佑一に、喰魔の影は容赦無く覆い被さってゆくばかりか、 その末端から鋭利な触手と思しき影すら伸び始めている。
 柾章たちを振り返り“何も起こってないんですけど”と言わんとする佑一の視線を受けて、倫奈は小さく舌打ちした。

「解除してもすぐ使えるとは限んねえんだ。 そんな時は――正直あんま使いたくねえんだが――桜庭、『発動せよ』って言ってみろ! 強制発動呪文だ」
「……発動、せよっ」

 半分裏返った声で佑一が唱えると、程無く彼の胴に霧が纏わり付き始める――が、他には何も起こらない。
 そうこうしているうちに喰魔はじわりじわりと間合いを詰め、

「……っ!」

 鞭のように(しな)った触手が、 辛うじて跳び退(すさ)る事に成功した佑一の残影を薙ぎ払い、 その鋭利な先端が鈍い音と共に突き刺さり、床を深く抉った。 判然としない外見とは裏腹に、この触手は想像以上の破壊力を備えているらしい。
 佑一が荒い息を吐く間を殆ど与えず、触手は攻撃の手を緩めるどころか、蛇をも越える執拗さで襲い掛かってくる。 対する佑一は、小柄さを活かして俊敏に跳び回っては触手の猛撃を躱すのがやっとで、 寸前にまで迫った触手と彼の間、幾度か、めくるめく青白い火花が散っている。

「――“火花”?……そうか!」

 突然、黙って事態を観察していたらしい高二が、閃いたように呟いた。そのまま、佑一に助言する。

「佑一君、床に手をつけちゃダメだ! あと手をつなぐのも!……先輩、多分佑一君の封印は“No.7”です」
「……おう。どうもそうらしいな」

 後輩の言葉に腕を組み直して応じた倫奈の表情は、至って微妙なものだった――若干、“何か”を案じているようであったが、 唇の端が僅かに上がっている様は、“それ”を愉しんでいるようにも見える。
 何かを仕出かす予感がして柾章が仰ぎ見ると、案の定、 彼女は疲れの色が濃くなってきた佑一に、とっておきの命令を出してみせた。

「おい佑一、避けるな! ガードしろ!」
「えっ?!」

 咄嗟にその内容に声を上擦らせたのは、柾章だ。――まさか、あの攻撃を受けろと言っているのか?!

「ちょっ、先輩――」
「いいからてめえは見てろ」

 “敵”が何か手を打ってきそうな気配を察知したのか、喰魔は赤い眼をぎらつかせたままに攻撃の手を停めたが、 一方、精神的・体力的にほぼ限界に到達しつつある佑一は、突然の防御指令に茫然と立ち尽くしているだけだ。
 次の瞬間、“獲物”に動く様子が無いことを覚ったらしい喰魔は、残像としか見えぬ速度で猛然と襲い掛かってくる。 半瞬遅れて佑一が気付いた時には喰魔の触手は彼の心臓をまっすぐに捉え、意図せずして彼は息を呑み両の手で顔を覆い――

 耳を聾する大音響と共に漂白された視界で、佑一のシルエットが仰け反った。

 そのまま何秒間経ったのだろうか。

 無に帰していた視力と聴力がやっと回復した時にすら、柾章は事態の把握が出来なかった。
 柾章が気が付いた時には、立ち籠めていた霧の残滓の中で喰魔の姿は掻き消えていて、 尻餅をついている佑一も、何が起こったのか未だに理解出来ていないようだ。
 と、誰かが小気味良い音で(・・・・・・・)諸手を叩いた。

 「よくやった。これで適用終了だ」

 倫奈だった。傲然と肩幅以上に脚を広げ、腕を組んでさえいるが、後輩を見下ろしている双眸はどこか温かい。
 部長の言葉を受けてやっと自分が何をしたのか解った佑一は、無二の友へと向き直り、照れながらも微笑んだ。 どうやら大丈夫そうな彼の表情に安心して、柾章も言葉をかける。

「お疲れ」

 だが、彼が柾章の労いを聞けたかどうか。
 力の抜けた腕が廊下を滑ったかと思うと、彼はあたかも糸を切られた操り人形の如く、ふっと後方に倒れ込んだ。

「佑君?!」
「大丈夫……疲れてるだけ。 そのうち目、覚ますはずだから」

 先程適用させた疲労で咄嗟に動けなかった柾章の代わりに佑一を支えたのは、“No.6”と思しき高二だ。 彼は力なく(もた)れる後輩を背負うと、 座り込んだままに心配そうな顔の柾章を促した。

「柾章君、そろそろ部室へ戻って休もうか。立てるかい?」
「……大丈夫っス」
「よし。じゃあ行こうか……部長、よろしくお願いします」

 ズボンの埃を掃ってやおら立ち上がった柾章を肩越しに確認して、高二は“部長”倫奈へ軽く挨拶し、歩き出した。 半拍遅れて柾章も続く。やがてその姿は曲がり角の向こうへと消えていったが、 ふと、倫奈が周囲を見回すと、喰魔が幾度も猛攻を仕掛けてきた割には雑然としていない。 深い刺撃痕も十数か所にわたって穿たれているのみ(・・)である。 これなら、修復にもそう時間は取られまい。ものの数秒で終わってしまうことだろう。

「……聞こえるか? オレだ。部外者は?……ゼロか。なら早速修復を頼んどいてくれ。今回はいつもよりずっと楽だ」

 ワイシャツのポケットから取り出した何かに向けて低く囁くのが終わると、彼女はスカートの裾を強く擦って汗を拭った。

「……あのガキ供め、心配かけさせやがって」

 そして、小さく溜め息をつき、最後の残映に染まった安堵の表情を微苦笑に綻ばせて、大股の速足で部室へと歩き始めた。







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