錆びたチャイムが六時限目の終了を告げると、 私立魁星学園高等部一年F組吉田柾章(よしだ まさあき)は、 たった今板書を写し終えた数学のノートの上にそのまま突っ伏した。
 その拍子でシャープペンシルががり、とノートに鉛の溝をつけたが、彼にとって今はそんな事はどうでも良いのだ。
 数学で終わるなんて、この時間割はどうにかしてる、と柾章は常々思っている。 そして新学期気分などお構いなしと言わんばかりに飛ばしている進度にも同様の不満がもうもうと立ち籠めていた。
 凡庸な高校生の呟きは、表に出ることも無く空気に溶けていった。







mile:1 「仄暗いシグナル」 Dim Signal







 退屈な一日が終わった、と伸びをしていると、

「吉田」

 クラスメイトの女子、洲之内藍(すのうち あい)が呼んでいた。 彼女はどうやら柾章と違って眠くもタルくもないらしい。 そんな奴が何の用だ、と彼が上目遣いをすると、差し出された右手にはプリントの束。 「√」やら何やらがうんざりするほど羅列されているということは、これは――

「……数学の課題」

 やっぱり、と明らかに苦い顔の柾章を黙殺して、高校女子にしても低めの声は、在りのままをぽつり、と述べた。 別に彼女が悪い訳ではないのだが、勤勉にもなかなか突っ込まずにはいられない性の柾章は、 起こしかかった上体を再び机の上に投げ出して毒づいてみせた。

「アイツまた出しやがったのかよ」

 百七十センチを超す長身を持つその女子生徒は黙っている。 彼女はそんなに口数が多い方ではないが、どことなく肯定している感を漂わせているのを柾章は感じ取った。

「配っといて、だって」

 有無を言う間も持たせず、しかし意外と丁寧にぱさりと机に置いて、彼女は何処かへ行ってしまった。 もう自分の分を配り終えたらしい。彼女は柾章と同じ、数学の教員補佐係だ。

「ったく……」

 プリントを配り始めることにし、 (おもむろ)に席から立った、その刹那。
 特に意味もなく廊下へ見遣った眼が捉えたのは、一年生の教室がほとんどのこの階では見ない顔の女子生徒だった。 柾章がちらと見ていると、ぴんと立てた人差し指を顎に当て、何か考えているようだ。 ジャケットの襟に付いている校章は──濃緑。

(あぁ、高二か)

 珍しいなとは思いつつも、手の動きを戻した。 両手で紙を扇状に広げ、五枚、六枚……と慣れた手つきで取り、先頭の机に置いていく。
 そして、全列配り終えてもう一度廊下を見た時には、例の高二は消えていた。










 ホームルーム終了後のロッカー周辺の喧騒の中、 柾章は妙な紙切れが挟まっているのを見つけた。この時期だから九分九厘部活の勧誘だろう。 今時のスタイルはダイレクトメールなのか、と開けてみると、そこには、 『残念! ゲタバコにもう一枚あるよ☆』と、やや癖のある、ラメ入りの水色で書かれている。 古文の授業で習った単語を使うなら、女手というやつだ。
 何じゃそりゃ!と激しく裏手で突っ込もうとしたところで、肝心の送り主がいない。 しかも、他のクラスメイトにも来たのかと見てみるとどうもそんな様子はない。
 妙だ。
 そしてもっと気になるのは、その文の下の、鉛色で付け足された短文――『さっきチラッと眼に入ってた高二より☆』。
 どうもおかしい。
 やたらと手が込んでいるとは思ったが、 昇降口に誘っている辺りからすると「体育館裏で待ってるよ☆」等の召集令状よりはマシなはずだし、 いざとなれば人混みに紛れて逃げられるだろうと行ってみることにした。
 階段を降りながら、今の俺って結構イイ人だな、と柾章が無意味な悦に浸っていると、肩にポンと何かが当たったのを感じた。

「ん?」
「あ、やっぱ吉くんだ」
「何だ佑君か」

 柾章と並んで歩き始めた“佑君”こと桜庭佑一(さくらば ゆういち)は、 吉田の元クラスメイトだ。
 今は少し離れたA組の彼は、第一印象から言うならば、小さい。とりあえず、小さい。 地道に伸びてるとはいえ高一男子で百五十四センチ、しかも細身である彼は小さいという事実が何よりのコンプレックスなのである。 高一男子の中でもさして高い方ではない百六十五センチの親友を、やや見上げるようにして彼は言う。

「なんかさ、変な紙挟まってたんだけど……見てコレ」

 佑一はポケットから、明らかにノートの切れ端と思しき紙片を取り出した。
 そこには『コレだけじゃ不完全ナリ〜☆ 昇降口いってみそ』という、 何やら柾章のそれ以上にタチの悪そうな文言があるではないか。これには柾章も言葉を失う。

「……なんっつーネタだコレは」
「全くだよ。って、ネタなの?」
「ネタだろ。というかそう思いたい――じゃなきゃこんなタチ悪いモン書いてこないだろ」
「……確かに。……ってそういう問題?」

「違うんじゃね?」
「そーんなつもりは無かったヨー?」

 背後からの声に、二人はすかさず振り向いた。
 女子生徒が二人、立ち並んでいる。校章の色を見ると、どうやら高二のようだ。 片方は髪を下の方で二つに結い、もう片方は若干ウェーブのかかったセミロングだ。しかも、

「あ! 『チラッと眼に入ってた』先輩っスか?」
「あれ? もしかして、食堂の自販機で僕の前に『ピポ』って言ってカフェオレ買ってた人ですか?」

 柾章もこの二つ結びを覚えている上、 佑一もこのセミロング見覚えがあるようである――まあ、佑一の場合は強烈なので仕方が無いというか、当然の帰結であろうが。

「ワァオ! 覚えてるヨ?」
「アンタの事だから、変な文にしたんでしょ」
「アー……ウン、それあるかも」
「……と、いう訳で、」

 何が「と、いう訳」なんだ、と二人は即座に内心で突っ込むも、当の二人は気付いている訳もなく。 突然の出現に戸惑いを隠せない柾章たちを前に、例の二人はきっちりと向き直り、宣誓の真似事でもしているかのように言った。

「あれを書いたのは」
「あたし達その他デス」

(いや、そんな連係プレイ要らないッスから。しかもムダに息ピッタリだし!)
(『その他』って、まだいるのかなぁ)

「えっ……部活の勧誘ですか」

 佑一がおずおずと訊ねると、

「そういう事にもなるよネー」
「うん、まあそんなとこ」

 相当凝ってはいるが、部活の勧誘であるのは確からしい。今度は柾章が訊いた。

「で、何部なんスか?」
「「…………」」

 説明に窮したのか、二人は顔を見合わせる。

「う〜ん……マァ、見てもらえれば判ると思うケドー」

 セミロングは二つ結びに向かって首を傾けた。二つ結びが頷く。
 二人は、声を揃えて言った。

「「帰宅部」」

 暫し沈黙、の、後。

「「はぁ?!」」


 柾章と佑一の声が、見事に重なった。






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