屋上のコンチェルト
「私は負ける訳にいかない。だから、私は……ここで吉田を撃つ」
「……っ」
静かに、引き金に掛けられた指に力が加わる。銃口は男子生徒の顔に一部の狂いも無く当てられ、微動だにしない。
躊躇を知らないかのような女子生徒を前に、彼の頬を汗が滴っていった。唾を飲み込む音が、やけに響く。
一度だけ長い瞬きをすると、女子生徒は再び焦点を彼の額に合わせた。
「じゃ、また後で」
発砲。男子生徒は、糸が切れた操り人形のごとく床に倒れていった。
女子生徒はゆっくりと得物を下ろし、無言のまま男子生徒の方を一瞥すると、振り返る気配すらなく立ち去ってゆく。 脚の長い影が、夕焼けに染まる廊下に伸びていた――
「オッケーでーす!」
メガホンを通して朗々と響いたのは、まだ変わりきってない中学生の声だった。 ご丁寧にも折り畳み式の“監督イス”に腰掛けていた彼の隣で成り行きを見守っていた佑一は、 廊下に仰向けに転がった吉田柾章に声をかける。
「吉くん上手かったよー、本当に洲之内さんに殺されそうな顔だった」
「……それは褒めてんのか?」
「やだなぁ、そうに決まってるじゃん」
「そうかそうかー。全然そうには見えねぇけどなー」
半分だけ起き上がって埃を掃う柾章に近寄ってきた佑一が 屈託の無い笑顔で
遊んできた
(
・・・・・
)
ので、 彼の希望通り、爽快かつ乾いた棒読みで反応すると、柾章も返しの手を打った。
「俺が終わったっつー事は、次佑君じゃん。頑張れよ、ビックリ役」
「任せといて、吉くんに劣るとも勝らない迫真の演技をしてくるから」
「やる気あんのかよ」
几帳面なまでに突っ込んだ柾章を置いて、撮影担当の生徒たちは既に移動を始めている。 佑一の登場する場面は、柾章と先程の女子生徒・藍のシーンで使った廊下と違って「夕方の校舎同士の間」なので、 他にも同じ場所で撮影する生徒たちも共に一斉移動をしているのだ。
ひとまず立ち上がり、全身を伸ばす。日中で一番暑い時間帯はもう過ぎているが、それでも房総半島の夏だ。 都心のコンクリートジャングルには及ばぬとも、相応の熱気に気力体力を奪われる現状に変わりはない。
このままでは熱中症になるのは時間の問題だと思い、定期券以外は大した物も入っていない鞄を取り上げ、 一応は風の通りそうな屋上へと、彼は歩き出した。
軋む鉄の扉を開け放すと、 夕の
朱
(
あけ
)
に染まった空が拡がった。
柾章以外には誰もおらずぬるい風だけが吹き抜けているそこで、鞄を放り投げ、鉄柵に凭れかかり、長く息を吐く。すると――
「あ、取られた」
どこか聞き覚えのあるアルトが、背後で解けていった。
柾章が振り返ると、声の主――洲之内藍は、彼とは少々空間を置いて柵に腕を預けると、遥かな遠くを見遣る。
「吉田も知ってたんだ」
「……え?」
「知らなかった? ここ、空がきれいに見えるから、みんな知ってると思ってたけど」
「……イヤ全然」
表情の起伏が小さい彼女の口からこんな詩的な言葉が飛び出てくるとは予想だにしていなかったので、 流石の柾章でも反応に遅れてしまった。が、藍の方はそんな様子を知ってか知らずか、 感情の読み取れない双眸に夕陽を映し、その長身を微風に吹かれるままにしている。
何か続く言葉でもあるのだろうかと柾章は構えていたが、 電柱に止まっていたカラスが鳴いて飛び去って見えなくなっても、一向にその気配は無かった。 半ば呆気に取られた顔を直そうともせず、彼は問う。
「え、それだけ」
「うん」
「……」
盛大な溜め息と共に全身が急に重くなっていくのが、恐ろしくはっきりと判った。
干された布団のように柵に垂れていた身体から頭だけを起こしてみると、眼前に在る無限に、呑み込まれそうになる。
「何かこう、改めて見ると、空ってでかいな」
「別に吉田に見直されなくても空はずっと前から大きいよ」
藍に柾章の言葉を否定するつもりなど微塵も無いであろうことは、何となく、柾章にも解った。
恐らくこれは、彼女なりのささやかな同意なのだ。
「……イヤまあそうだけど。けど、こうやって見ると、結構綺麗だし」
「別に今さら吉田に見直されなくても空はずっと前からきれいだよ」
「……お前は空の何を知ってんだ」
本心から突っ込んだ柾章が藍を見遣ると、彼女は、すらりと伸びた長身の頂きで、 短めの髪をゆるい風に
玩
(
あそ
)
ばせている。
柾章には、何故かその姿が今にも解けてゆきそうに透明なものにみえた。
穏やかな一呼吸を置いて、藍は初めて柾章の方へ瞳だけを僅かに滑らせると、 再び果て無き天空に向き直って、訥々と言の葉を紡いでゆく。
「何も知らないよ。けど、それはみんな同じだから。何も知らなくても、空を見て、高くて広いって思って、きれいだって思って、 少しだけ心がすっきりする気がして――それで、いいと思う。そういう時は、しばらく空を眺めてればいいと思う」
やっぱお前は空の“何か”を知ってんじゃねえか、とやはり内心で藍に突っ込みつつも、 柾章は、不思議と納得している自分に気付いていない訳ではなかった。それに、何故だかとても清々しい。
「……そう、だな。サンキュ」
「別に何もしてないけど」
「じゃあそういう事にしとけ」
淡白な表情で不可解さを伝える藍には適当に返事しておいて、柾章は無造作に転がっていた鞄を拾い上げる。
携帯を見ると丁度佑一から着信があったばかりで、ふと見上げた高みには、下りかけた闇の帳に夕焼けの残滓が綾を成していた。 歩を停めてしばし眺めるが、はっと我に返ったところで柾章は重要なことを思い出し、
「それと、ツッコミは俺の役割だから」
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