ダンディバード






 日頃なら怒濤の如く押し寄せるラッシュの波も今は無く、一本だけのホームに佇む影は(まば)らだ。
 人混みを嫌う柾章にとっては全く以て喜ばしい筈なのだが、盆が明けたばかりの八月は人体にとって仇敵だ――と彼は思うのである。 全ての気力を喰らい尽くす天然サウナの中、不覚にも来学期初頭にある実力テスト(全五教科)の存在までも思い出してしまい、ますます気が萎えてしまう。

「おはよー、あ、でも今は“こんにちは”か」
「ん……はよ、佑君」

 肩掛け鞄がずり落ちないのが不思議な位脱力している柾章に対し、佑君と呼ばれた友人=佑一は爽やかに声を掛けるが、やはり、日に焼けやすい彼の顔の赤さが再び夏日の強烈さを物語るに終わる。

「……暑いね」
「ああ。何が文化祭準備だ。やってらんねー」

 柾章は中途半端に開かれた第二ボタン周辺を摘まんで扇ぎ、愚痴った。
 文化祭準備――まさにこれが、こんな真夏の休日に彼らを登校させる要因なのである。中高一貫校だから別に今年が最後の年でもないのに、 誰かが「中学最後の思い出を作ろう」なんて言い出すものだから、議論の末に文化祭では映画を作る事になってしまい、となると撮影に日を割かなければならなくなり、 結果として、今、柾章たちはこの駅で電車を待っているのである。

「大体さ、“全員どこかで登場!”なんて無理あり過ぎだよな……」
「小学生とかの劇みたいだよね」

 いつの間にか取り出されたテスト勉強必携の赤下敷きに前髪を舞い上げさせつつ、佑一も同意する。

「しかもあの脇役のくじ、散々迷って引いたあげく“突然現れた幽霊にビビる男子生徒”だったんだよ……」
「うっわ、そりゃ酷いな。俺の“超強力噴射水鉄砲を突きつけられる男子生徒”の方がまだマシだ」
「全く」

 沈鬱な表情で佑一が頷くが、ふと、聞こえてきた音に(こうべ)を巡らせる。

「…………ウグイス?」
「はぁ?」

 思わず腑抜けたような声をあげた柾章を佑一が静かに片手で制した、数秒後――春を告げる鳥の音が、二人の鼓膜を震わせる。

「結構うまいね。けどさ、今……ものすごい夏じゃないっけ?」
「となると、機械音声なんじゃ」

 実の所、柾章には確信があった。
 数か月ほど前、駅のポスターで、ホームから階段付近入口の辺りで鳥の鳴き声を流すというのを読んでいたのだ。
 その時は、改札でよく耳にするあからさまな電子音よりは随分と風流だと思ったものだが……まさかこんな夏場でもウグイスの音を流すとは。 季節ごとに変える位の粋な事を期待していたのに、どうにも中途半端で、柾章は少々気に入らない。

「そっか。何だかねー……知ってる? ウグイスって、最初からあんなうまく鳴けないんだって」
「へー」
「若い鳥はうまく鳴けなくて、なんかね、聞いたことあるんだけど、『ケキョ』しか言えないんだよね。 よく知られてる『ホーホケキョ』が出来るのは、練習を積んだ、いわばおじさん鳥ってとこらしいよ」

 成る程、と小さく唸って感心した柾章に、

「だから、ウグイスは若い鳥よりも、中高年くらいの年頃がもててるみたいなんだ。本当の生涯は中高年からってところだろうね」

 佑一は彼なりの推察と結論を述べた――巧く似せられたらしい鳥が、再び鳴く。機械らしく、声音は先程と全く同じだ。
 一通りスピーカーが吐き出し終えてから沈黙を破ったのは、柾章だった。

「何だかな……ン年分の努力をこうもされちゃあ、ウグイスだって堪ったもんじゃなかろーに」
「世の中、努力してる人が報われるとは限らないしね」

 二人とも揃って心中溜め息を()いた所で、アナウンスが電車の入線を知らせる。 それと合わせて、話題も春を告げる鳥の方から、文化祭の方へと切り替える。

「俺らのやるヤツ、何てタイトルだった? 第一、どんな話かすらも覚えてねーよ」
「あの時、吉くん突っ伏して寝てたしね」
「じゃあお前は知ってんのかよ?」

 柾章の問いから数秒後、佑一は爽やかな笑みと共に答えた。

「いやー、僕あの後から寝たから」
「同じじゃねぇか!」

 あはは、と零す佑一の声に車両の減速する音が重なり、黄線の傍へ寄った彼の髪を僅かに巻き上げていく。

(『おじさん鳥』か……英語だと、“ダンディバード”ってとこか?)

 無機的かつどこか田舎じみたアナログさを併せ持って扉が開くや、内に溜められていた冷気がホームへ流れてくる。
 赤下敷きを仕舞う佑一の鞄の中に参考書の姿を認めてしまい、脳裏にテストの存在が嫌味なゾンビのように甦り、今度は本当に柾章の肩から鞄がずり落ちた。 誰もがうんざりする話題を何とか思考の隅へ押しやろうと、こんな時に限ってどうでもいい事を思い出し、あまつさえ口に出してみたりもしてしまう。

「そーいや、俺に“水鉄砲を突きつける女子生徒”って、洲之内だったんだよな……」
「……何とも言い難いね」

 微苦笑で言葉を交わした二人が乗った快速電車の扉が、ベルの後に閉じてから――再三、“ダンディバード”が鳴いた。






配布元 → Twilight World